コーヒーの歴史 ❸イエメン独占栽培の終焉
コーヒーはエチオピアからイエメンのアデン、そしてメッカ、メディナといったイスラムの聖地を経てエジプトのカイロへと伝わりました。
そこからオスマン帝国の2人の皇帝による領土拡大と共に、16世紀後半にはヨーロッパの知識人階級にその存在が知られるようになります。
ここまでが前回までのおさらいです。
さて、その後コーヒーはすぐにヨーロッパでも栽培されるようになったのでしょうか。
それが違うんです。
16世紀後半はおろか、なんと18世紀初頭までの間、コーヒー栽培はイエメンでの独占が続くのです。
オスマン帝国によるコーヒー栽培の独占
イエメンのモカ近辺の山岳地帯では、15世紀半ばからコーヒーの商業的栽培が始まっていました。
コーヒーの原産国はアフリカのエチオピアですが、コーヒーの商業的栽培は紅海を挟んだアラビア半島が最初です。
そして当時イエメンはオスマン帝国の支配下にありました。
コーヒーに商業的価値を見出したオスマン帝国は、モカからのコーヒー苗木の持ち出しを禁止します。
この措置により、なんとおよそ250年間に亘りイエメンはコーヒー栽培を独占することになります。
そしてコーヒーの積出港として「モカ」はコーヒーの代名詞となっていきます。
さすが抜け目ないですね、オスマン帝国。
これは今から500年以上昔の話になる訳ですが、その頃からコーヒーは既に帝国が目を付けるような換金作物だったんですね。
東インド会社登場!コーヒー苗木の密輸に成功
歴史の教科書には必ず登場するメジャーな存在ですね。
会社って言ってますが、貿易のみならず軍事権を有していたり、イギリスの東インド会社に至ってはアヘン(いわゆる麻薬です)を輸出していたりして、ダークな側面がたっぷりの組織ですよね。
実際ほとんど戦争みたいなことやっていたりするので、相当荒っぽい集団だったことは間違いないですね^^;
東インド会社で有名なのはイギリス、オランダ、フランスあたりでしょうか。
この3国の中ではイギリスの東インド会社が一番長く存続したのですが、コーヒーの歴史という観点ではオランダ、フランスが重要な役割を果たします。
オランダ東インド会社がコーヒーを初輸入
1616年、オランダの東インド会社の船がモカを訪れます。
彼らはコーヒー豆を積んでアムステルダムへと戻り、ついにイスラム世界からヨーロッパへのコーヒーの輸入が始まることになります。
この頃のコーヒーは、きっとエキゾチックで物珍しい飲み物だったに違いないですね。
しかしその後、17世紀後半にはヨーロッパでコーヒーへの需要が増えていき、コーヒーはモカからオランダへ定期的に輸入されることになります。
さてそうなると、東インド会社としてはイエメンに独占させておく手は無いということになりますよね。
「いいかお前ら、次のモカへの航海では狙いは苗木だ!コーヒーは金になる・・・」みたいな展開ですかね。。。
1658年、オランダ東インド会社が苗木を持ち出す
それは1658年のことでした。
ついにオランダ東インド会社はモカからのコーヒーの苗木の持ち出しに成功します。
きっとモカの港には半月刀みたいなの持った監視のおじさんとかがいて、厳しく目を光らせていたに違いありません。
そうすると夜陰に乗じて積み込んだか、あるいはコーヒー豆の袋の中に隠したか。
いずれにせよ、オランダは持ち出した苗木をスリランカに持ち込み、そこでの栽培に成功します。
スリランカといえばインドのすぐそばにある島ですが、コーヒーは対岸のインドのマイソールにも伝わります。
そしてそこからジャワ島にも伝わり、18世紀前半には生産量ではモカを抜くことになります。
こうしてオランダ東インド会社の暗躍により、コーヒーのイエメンでの独占栽培は崩れ去るのです。
1712年には、ジャワ島で栽培されたコーヒーがアムステルダムに輸出されています。
東インド会社は今?
ちなみに東インド会社、現在はどうなっているかというと・・・
2010年、インド出身のイギリスの実業家サンジブ・メフタがイギリス大蔵省に対し「東インド会社(East India Company)」の名称と商標の使用許可を出願し、これが許可されたため、東インド会社は135年ぶりに企業名として復活した。
もちろん昔の荒っぽい会社とは違うようですが、現在もその名前は存続しています。
もともとの東インド会社は18世紀から19世紀にかけて解散してしまっていますが、名前を復活させたということですね。
そしてコーヒーは新大陸へ
長かったイエメンの独占は終わり、コーヒーはアジアへと伝わりました。
しかし、現在のスペシャルティコーヒーの中心である中南米はまだ登場していません。
スペシャルティコーヒーの最も重要な産地のひとつである中米にコーヒーが伝わるには、もう一つの物語が必要なのです。
最も高貴なる品種「ティピカ」をカリブ海に伝えた一人のフランス海軍将校がいます。
次回の記事では、この物語をお伝えしましょう!