【コーヒーの歴史】❷オスマン帝国の覇権編 コーヒーはヨーロッパへ

コーヒーの歴史2オスマン帝国の覇権編

コーヒーの歴史 ②コーヒーはヨーロッパへ

前回の記事で書いたように、コーヒーは15世紀半ばに歴史の舞台に登場しました。

場所はアラビア半島の南端、アデン。

コーヒー原産国であるエチオピアから伝わったコーヒーは、アデンやモカの周辺で栽培され、ここからまずアラビア半島を北上して広がっていきます。

カルディの伝説にあったように、最初は修道院で飲用されていたコーヒーは、やがて一般のイスラム信徒の間にも広がります。

そしてコーヒーは16世紀後半までにイスラム圏全域に広がり、ついにヨーロッパでもその存在が知られるようになっていきます。

コーヒーは聖地をたどりアラビア半島を北上

コーヒーは15世紀末には、アデンやモカの周辺から、さらにアラビア半島を北上した中西部のメッカ、そしてメディナへと伝わります。

メッカ、メディナといえばイスラム教の聖地です。

その聖地をたどるようにしてコーヒーはアラビア半島を北上していきます。

そしてついに1510年頃にはエジプトのカイロまで到達します。

Google Mapで見てみると分かりやすいと思いますが、下のマップの左上辺りにカイロがあります。

コーヒーはほぼアラビア半島を北上しきって、再びアフリカ大陸に戻り、カイロまで来たことが分かります。

カイロといえば、もう地中海はすぐ目と鼻の先ぐらいの位置。

この時点でかなりヨーロッパに近づいています。

 

静かにしかし着実にアラビア半島で拡散していったコーヒーですが、そこにさらに歴史の大きな波が押し寄せます。

オスマン帝国です。

オスマン帝国第9代皇帝 冷酷者セリム1世

1517年、オスマン帝国第9代皇帝 セリム1世がカイロを陥落。

この時、すでにカイロにはアラビア半島からコーヒーが伝わっていました。

そしてセリム1世のイスタンブールへの凱旋とともにコーヒーはオスマン帝国にもたらされます。

 

さて、ここでオスマン帝国とセリム1世について少し触れてみます。

オスマン帝国と2人の皇帝

オスマン帝国は1299年にトルコ系部族の族長であったオスマン1世によりアナトリアで建国されました。

そして隣接する国を次々に征服し、領土を拡大していきます。

16世紀後半に全盛期を迎えますが、当時はアジア、アフリカ、そしてヨーロッパにもまたがる大帝国となっています。

1922年、第一次世界大戦後に消滅するまで、その全盛期にはヨーロッパ諸国から脅威と見られるほどの勢いのある帝国として歴史に名を残しました。

この16世紀のオスマン帝国の全盛期を形作ったのが2人の皇帝。

オスマン帝国第9代皇帝セリム1世と第10代皇帝スレイマン1世です。

そしてこのセリム1世ですが、在位はわずかに8年。

1512年から1520年まで。

 

あれ、案外短いなと思ったら、なんと9年目に54歳で病気で崩御しちゃうんですね。

この時代、人生短いですね。

まさにパーっと咲いてパッと散るって感じです。

コーヒーはヨーロッパへ

しかしこのセリム1世ですが、その在位期間のうちに父から受け継いだ領土を3倍近くまで拡大しているのです。

詳しくはこちらを。

騎兵が中心だった他のイスラムの軍隊を火砲で次々と打ち破ったというセリム1世。

ちょっと織田信長が武田の騎馬隊を鉄砲で撃破したという話を思いださせますね。

セリム1世ですが、反対者はあっさり粛清してしまい「冷酷者」と呼ばれていたらしいですが、非常に有能な皇帝だったようですね。

 

セリム1世はシリア領有をめぐって対立していたエジプトのマムルーク朝を滅ぼし、なんとエジプトとシリアを領有してしまいます。

そしてセリム1世の跡を継いだスレイマン1世は、ハンガリーを領有し、ウィーンを包囲してヨーロッパに迫ります。

オスマン帝国は当時、地中海の制海権まで握っていたようです。

 

上の地図はコーヒーが広まっていった経路を示していますが、こうして見るとオスマン帝国は本当にヨーロッパに迫っていたんですね。

セリム1世がカイロを陥す少し前にカイロにコーヒーが伝わっていたため、コーヒーはオスマン帝国にも伝わります。

そしてこの2人の征服者が領土を拡大するとともにコーヒーはイスラム圏全土に広がり、ついにヨーロッパに知られることになります。

ある意味、歴史の偶然によりコーヒーは広がっていったのですね。

16世紀後半 コーヒーはイスラム全域へ

コーヒーはイスラム圏全域へ

さて、こうしてイスラム全域に広がったコーヒーですが、それと共にいわゆる「カフェ」ができることになります。

イスラムでは人々が集まりコーヒーを楽しむ場所のことを「カフェ・ハネ」と呼びました。

15世紀末のメッカに最初にカフェ・ハネが作られ、その後1510年頃にはカイロにも、1554年にはイスタンブールにもカフェが登場しています。

 

ちなみにお決まりのパターンですが、コーヒーが広まるにつれイスラム社会ではコーヒーは良いものか悪いものかという論争が起こったとのこと。

コーランの教えに反していないか、体に悪くないのか、カフェってどうなのみたいな話ですね。

健康に良いか悪いかなんて、現代でも同じこと言ってますもんね。

実は数百年経っても、人間って同じようなこと言ってます(^^;)

ヨーロッパの知識人にコーヒーが知られる

欧州からの旅行者

 

コーヒーが良いものか悪いものかはともかく、ヨーロッパに迫る勢いでオスマン帝国が拡大したことにより、ヨーロッパからの旅行者などがコーヒーの存在を知ることになります。

ヨーロッパには庶民に広がるよりも前に、中近東まで足を伸ばした商人や学者によってコーヒーに関する情報がもたらされます。

ヨーロッパで初めてコーヒーを紹介した書籍は、1582年にドイツのレオンハルト・ラウヴォルフによって書かれたものです。

 

ラウヴォルフは中近東を薬用植物の採集のために旅していた植物学者です。

欧州から初めてシリアやメソポタミアを訪れた人物で、帰国後に記した本の中でコーヒーについて触れています。

他にはイタリアのプロスペロ・アルピーニ、フランスのジャン・ド・テヴーノなどの学者の著作にコーヒーのことが記されています。

 

こうしてエチオピアを離れたコーヒーは、修道院から聖地、エジプトからイスタンブール、そしてヨーロッパへと伝わっていくことになります。

セリム1世がエジプトを陥すまでにコーヒーがエジプトに伝わっていなかったら、もしかするとコーヒーはこんなに世界に広がらなかったかもしれませんね。

 

さて、ヨーロッパにその存在が知られることになっていったコーヒーですが、コーヒーの栽培が世界に広がるにはまだ少し掛かります。

なぜかというと、16世紀のこの頃、まだコーヒー栽培はイエメンでの独占だったのです。

では次の記事ではどのようにしてイエメンの独占栽培が崩れ、コーヒーが世界に広がっていったかを見てみましょう。

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